出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾壱
日本食関連イベント初開催、日豪プレス創刊
1970年代、日本食レストランは末広の独壇場でしたが、その後、石岡さんというシェフを迎えて中国人オーナーによる鉄板焼レストラン「都」がオープンしました。今では遠く懐かしい当時の日本食レストラン業界ですが、思い返せば、この時期がまさにオーストラリアにおける日本...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾
シドニーの鮮魚改革を目指して
息子との2人旅を終えシドニーに戻った後、1977年、東京マートの隣に「魚秀」という鮮魚の小売と卸の店をオープンしました。当時、日本食レストランを開くことも考えましたが、既に順調に動いているイベント・ケータリングの仕事は自分の自由な発想と演出を企画し、売り込める点が面白く、...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾九
世界1周旅行、包丁式の継承
スエヒロとの契約が終わり、次のプロジェクトに進む前に、4歳になった息子と2人で飛行機に乗って世界旅行に出掛けました。この旅の大きな目的の1つが、息子を日本の親や親戚に会わせることでした。日本に帰るのは7年ぶりで、1か月ゆっくり日本で過ごすことにしました。
シドニーを出て、...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾八
日本食普及の礎となった「東京マート」
私がスエヒロとの契約を終えた1976年、ノースブリッジ・プラザに東京マートが誕生しました。ノースブリッジ・プラザは都心や郊外にある大型ショッピング・センターというわけではありませんが、昔も今も変わらず地元の生活に密着した商業施設として、ローカルの人たちに親しまれ...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾七:田中角栄元首相、豪州でのひと時
今年は元号が「平成」から「令和」へと代わり、昭和をますます遠くに感じるようになりました。その昭和に歴史を刻んだ1人で、「日本列島改造論」を掲げ政権を得た田中角栄元首相が1974年10月に来豪されました。その際、縁があって、キャンベラの大使公邸で田中角栄元首相を迎える会...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾伍:VIP接待のケータリング・サービス
メンジーズ・ホテル内の日本食レストラン「景山」でのコンサルティング・シェフを務める傍ら、個人的にケータリングの仕事も行うようになりました。ホテル側に相談した際に、「景山」とホテルでのイベントをこなしさえすれば、外部でケータリング活動を始めても支障ないと確約も取れて...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾四:在りし日のシドニー・フィッシュ・マーケット
「景山」での仕事をスタートさせると、食材の調達などの行動範囲を広げるために、まず車が必要と思い、中古のミニのライトバン(ミニ・クーパー)を購入しました。当時、新車は今以上に高級な物で、ほとんどの人は中古車に乗っていました。また、ちょっとした修理は自分たちで...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾参:古き良きシドニーでシェフとしての新生活始まる
いよいよ、シドニーでの生活が始まりました。不動産屋にシティーへの通勤が便利で環境が良い所ということで、私たちに合う物件をお願いしたところ、キリビリにある古い赤レンガの3階建てのワン・ベッドルームのアパートを紹介され、借りることになりました。住み始めて知っ...
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾弐:7年6カ月の結婚生活
師走が迫るNZでの旅を終え、オークランドからシドニーを経由して、後に最初の結婚相手となったオーストラリア人女性のいるアデレードへと向かいました。空港に到着し、当時まだ大学生だった彼女が1人で迎えに来てくれました。6カ月ぶりの、彼女との再会に、胸の高鳴りを覚えました。
アデレード...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾壱:厳しくも美しいNZの自然
マウント・エグモントを後に、南北両島を結ぶフェリーが出る首都ウェリントンへと向かいました。フェリーで南島へ、当時どのぐらい掛かったのか覚えていませんが、ピクトンに到着。今では3時間半ほどで着くようです。ここからは南下しました。ピクトンを出て、東海岸線にある港町カイコーラを経...