出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四拾壱
2000年、シドニー・オリンピック開幕
2000年はミレニアム(Millennium)と呼ばれ、宗教的な意味合いよりも、一般的には、20世紀最後の年として、ミレニアムを祝うイベントがたくさん開かれましたが、シドニーでの最大のイベントは、シドニー・オリンピックでした。世界のオリンピアンがシドニーに集結...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四拾
名日本人シェフを数多く排出した第二世代
1990年代後半から2000年に向けてシドニーにおける日本料理店は増え続け、大型店への投資も活発で、日本食業界は盛り上がっていましたが、同時に、その明暗が分かれる時代へと突入しました。私は、「我が道を行く」で、与えられた仕事を地道に続けていました。
昨年、SB...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾九
養殖サーモンとWAGYU BEEF
2021年を迎え、少しずつでも正常な生活を取り戻していけることを祈るばかりです。1993年、ミレニアム(2000年)という記念すべき年に、オリンピックの誘致が決まり、シドニーはオリンピックに向かって、街の風景を急速に変え始めました。シドニー郊外、オリンピック村周...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾八
「フュージョン ・スタイル」 の始まり
1980年代 後半、それまで人気だったオーソドックスな料理から、多国籍文化の中で生まれてきたフュージョン・スタイルという新しい流れを感じられるレストランが増えました。若いシェフたちが、オーストラリアの持つ独自性を生かし、更にエスニックなエッセンスを取り入れ、...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾七
産声を上げ始めた豪州産の日本食材
1980年後半は、シドニーや地方のテレビ局から、日本料理の紹介の依頼が増えたり、更には新たに日本料理の本の出版の話がいくつか舞い込んできました。
昨今は、YouTubeが大流行り。多種多様なテーマで、それぞれ得意な分野のHowtoものなどを画像を通...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾六
シドニー・シーフード・スクールの開校
1980年代後半、100席以上の規模を持つレストラン「スエヒロ」や「サントリー」が去った後も、日本料理の大型店はますます増え、「Sushi House」というチェーン店なども登場、オーストラリアにおけるホスピタリティ・インダストリーは更に面白くなってきました。レ...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾伍
日本料理、進化の時代に突入
1980 年代の開幕は私にとって一大転機となる料理の活動に拍車が掛かりました。ル・キオスクの契約が終わり、日本食に関する全てのエリアに精通したこれまでにないビジネスを追及することを目指し、「Japanese Functions of Sydney」のオフィスをノース・シド...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾四
豪州発日本料理本の出版
1980年代に突入した30歳半ばのころは、私の人生において最も新しいことにチャレンジできた時期でした。主なビジネスとなってきていたイベント・ケータリングがますます忙しくなりました。
70年代のケータリングは日系企業や商社の奥様方からの依頼が中心でしたが、80年代になると扱う人...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾参
シェリー・ビーチの人気レストランへのスカウト
3年間の私の「魚秀」事業は、ウナギやマグロの養畜、養殖がより盛んになり、鮮魚、貝類の種類もますます増え始めた頃にひと区切りを付け、惜しまれながらも終了しました。
1980年代当時、日本はバブル経済真っ盛りで、70年代後半辺りからシドニーへの日本企業進出も...
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~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾弐
徐々に鮮魚市場の人気が高まった70年代
皆様、明けましておめでとうございます。本年も、より幸多い年の開幕に向けてご一緒しましょう。さて、「魚秀」(1978~80年)の時代、オーストラリアの鮮魚市場は、徐々に国外のマーケットへと目を向け始めました。70年代は、天然のイエロー・フィン・ツナ(キハダマグロ...