タスマニア再発見
No.93 姉妹都市~交流の軌跡(その2)~
文=千々岩健一郎
前回の、ホバートの姉妹都市・焼津との交流の軌跡についての話の続きをお届けする。今回は姉妹都市提携の前後に日本を訪れたホバート市長が、ある1人の日本人の女性を見初めて、結婚するに至った物語だ。
ホバートの特別議会の場で提携の締結が行われたのと同じ1977年の5月、今度はホバートのダグラス・プレイスター市長一行が初めて焼...
タスマニア再発見
姉妹都市〜交流の軌跡(その1)〜
文=千々岩健一郎
タスマニアのホバートが静岡県の焼津市と姉妹都市となって2017年でちょうど40年目となる。1970年代当時、タスマニアの近海にはミナミマグロを求めて多数の日本の遠洋漁船が訪れていた。ホバートの港はこういった船の食糧補給や病人の看護などのための寄港地として貴重な存在であり、焼津からの船も多数訪問していたことからこの姉妹都市関係が作...
タスマニア再発見
「暗黒の火曜日」の山火事
文=千々岩健一郎
「暗黒の火曜日」といえば、1929年の世界大不況のきっかけとなるウォール街での株の大暴落が一般的だが、タスマニアでは史上最大の惨事となった大きな山火事が発生した日を指す。
67年2月7日火曜日、この日は北西からの強風、乾燥、高気温という状況下で、ダーウェント川上流部のハミルトン、ボスウェル付近から発生したいくつかの山火事が、ホバート市の...
タスマニア再発見
No.90 タスマン・ブリッジの悲劇
文=千々岩健一郎
人口20万人の広域ホバートは、ダーウェントの流れを挟んで東西に大きく分断される。中心地は西側だが、東岸のクラレンス側にも30パーセント以上の人々が生活している。そして東西を結んでいるのがタスマン・ブリッジ(Tasman Bridge)だ。全長1,396メートル、往復5車線、タスマニアでは最も交通量の多い要路で、高い橋脚の上を...
タスマニア再発見
No.89 港の貴婦人 レディ・ネルソン
文=千々岩健一郎
ホバートの港は年末年始のこの時期、恒例のイベント「シドニー/ホバート・ヨット・レース」の到着点として最高のにぎわいを見せる。今回は、この港に常時係留されるヒロイン的存在、2本マストの帆船レディ・ネルソン号について取り上げよう。
ホバート港に停泊中のレディ・ネルソン号
1803年、英国の豪州での最初の植民地シドニ...
タスマニア再発見
No.88 黄金の目のクロフエガラス
文=千々岩健一郎
タスマニアのツーリスト・シーズンが到来。夏のタスマニアには海外のみならずオーストラリア本土からも数多くの人がやって来て、人気のクレイドル・マウンテン国立公園を訪問しブッシュ・ウォーキングを楽しむ。今回は、このハイキングの途中で必ずと言って良いほど登場する「クロフエガラス」を紹介しよう。例えば、ダブ湖周遊サーキットを歩いてちょ...
タスマニア再発見
No.87 最初の水力発電所「ワダマーナ」
文=千々岩健一郎
2014年、タスマニアの水力発電の歴史は100周年を迎えた。この島で使っている電気エネルギーがほとんど水力で作られ、火力にも原子力にも頼っていないという事実は、州のモットーである「クリーン&グリーン」を裏付ける根拠の1つだろう。今回はこの水力発電事業の出発点について取り上げよう。
タスマニアの地図を見ると、そのど真ん中...
タスマニア再発見
No.86 レンガの煙突、ガスワークス
文=千々岩健一郎
タスマニアのホバート空港に到着して、3号線のハイウエイを走りホバートの町に入ると、ちょうど町の入り口にそびえ立つ高いレンガの煙突が必ず目に入る。中心地を走るデイビー通りとマクワリ通りのスタート地点に位置する。ホバート訪問が初めての人からは、この煙突の用途についての質問をしばしば受ける。
この煙突を含む一連の建物は19世紀の...
タスマニア再発見
No.85 季節の味覚、スカロップ
文=千々岩健一郎
タスマニアにある我が家の近くのレストランでは、毎年冬から春のこの時期「スカロップ祭り」と称して採れたての貝を美味しく食べさせてくれる。天ぷら風にカラッと揚げたものをおなじみのチップスと盛り合わせたフィッシュ&チップスの類だが、季節感のある食材で趣深い。
タスマニア近海で採れるスカロップ「Commercial Scallop」は...
タスマニア再発見
No.84 豪州ゴルフ発祥の地、ボスウェル
文=千々岩健一郎
毎年7月に開催されるゴルフの全英オープンの舞台は、その発祥の地といわれるスコットランドのセント・アンドリュースだが、オーストラリアのゴルフ発祥の地がタスマニアにあるのはご存知だろうか。ホバートから北に車で約1時間、中央部の山岳台地に向かって5号線のハイウェイを上っていくと、牧草地の中にぽつんと存在するボスウェル(Bot...